11/26 手続的正義

Category - 未分類 作成者:友弘 克幸

今日(11月26日)、「特定秘密保護法案」が、衆議院の特別委員会で強行採決され、

夜の衆議院本会議で自民党・公明党・みんなの党の賛成により、可決したそうです。

特別委員会では、総理が退席した直後に質疑打ち切りの動議が提出され、

ご覧のように(これ)、

無理やりに「賛成多数で可決」されたとして、本会議に送られました。

 

司法試験では、いうまでもなく「憲法」が必須科目になっているわけですが、

憲法を勉強するときに必ず教えられるのが

民主主義とは多数決ではない」ということです。

 

民主主義とは、いろいろな意見を十分に聞いて、

これでもかというくらいに議論して、折り合える点を探して、

ようやく一つの物事を決めることができる、という意思決定システムです。

 

意思決定の方法としては、本質的に、とても「面倒な」システムだということです。

 

意思決定のスピードや効率性を求めるのであれば、

「独裁」や「絶対君主制」が一番良いことははっきりしています。

 

しかし、それで人類は数えきれないくらいの失敗をしてきました。

 

だから、面倒ではあるけれども、やっぱり物事を決めるのには、

じっくり時間をかけてみんなで議論して、合意点を探ってゆくやり方をとったほうが、

長い目で見ればたぶん失敗が少ないはずだよね、

ということで、民主主義が最善とされているのです。

 

ニュースで、午後8時過ぎの安倍総理の発言が放送されていました。

「国民のあいだに不安や懸念があることは承知している。

参議院での議論を通じて、それを払しょくして参りたい」

というようなことを述べていました。

 

しかし、国民の間に懸念や不安がある、と承知しているのであれば、

なぜ、衆議院で、徹底的に「懸念や不安」に正面から答えようとしないのでしょうか。

いっぽうで、野党が求める徹底審議を拒否して、

無理やりに採決を強行しておきながら、

他方で「懸念や不安を解消したい」というのは、二枚舌と言わずしてなんでしょうか。

安倍総理のやり方は、民主主義の否定です。

 

「手続的正義」という言葉があります。

司法の世界では特に大切にされている考え方です。

 

民事裁判でも刑事裁判でも、人間が判断することですから、

残念ながら、一定の割合で「誤り」、つまり「結果としての不正義」が生ずることは、

避けられません。

 

しかし、そうであるからこそ、

たとえば刑事裁判であれば、被告人にも弁護人を選ぶ権利を与え、十分に弁解の機会を与える。

民事裁判であれば、当事者双方に公平に言い分を主張する機会を与える。

結論を出す過程で、そういった「公正な手続き」を踏むことが、

正義のための不可欠の前提と考えられているのです。

 

民主主義も、同じことです。

「人間は判断を誤ることがある。自分たちも同じだ」

という謙虚な気持ちがあれば、

強行採決など、恐ろしくてできないはずなのです。

 

逆に言えば、そういうことができるというのは、

「自分たちは判断を誤らない」

「俺たちの判断は正しいのだから、国民は黙って従えばいいのだ」

という、傲慢さの表れなのです。