2013/6/29 日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?
今野晴貴さんの
日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか? (2013年4月、星海社)
を読みました。
とても良い本でしたので、以下、(私の若干の感想を交えつつ)紹介します。
★今野さんといえば、
ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (2012年11月、文春新書)
の著者でもあり、NPO法人POSSE の代表として最近マスコミにも登場されるようになっている方です。
今野さんの著書の力もあって、最近、ようやく「ブラック企業」の存在、つまり若者(今野さん自身は1983年生まれだそうです)のひどすぎる職場環境が社会問題として認識されるようになってきました。
今野さんはさぞ喜んでおられるだろうと思っていました。ところが、今野さんは
「ブラック企業」を見分けても意味がない (13頁)
というのです(「はじめに」)。
その理由は2つで、
① ブラック企業を「見分けた」ところで、ブラック企業からしか内定がとれなかった人は結局そこに入社するしかないので、「見分け方」だけを論じることは問題の本質的解決にならない。
② 「見分けろ」という議論は、「見分けないやつが悪い」「ブラック企業にしか入れないやつが悪い」と、ブラック企業を正当化することにつながるおそれがある。
というのです。(この指摘は、私にとっては「目からウロコ」でした。)
だから今野さんは、本書で
どうすれば日本の『労働』を変えられるか、について考えたい
といいます(15頁)。
★今野さんは、その「変える」前提として、
そもそもなぜ日本の労働に違法状態がまかり通るのか、
ということを分析されています。
これが本のタイトルにもなっているわけですが、確かに、
・ なぜ、サービス残業は違法なのになくならないのか?
・ なぜ、過労死するほど仕事があって、他方、就職できずに自殺する人がいるほど仕事がないのか?
・ なぜ、日本人は奴隷でもないのに死ぬまで働くのか?
などなど、考えてみれば不思議なことばかりです。
今野さんは上記の疑問に答えるため、まず、
個人が労働問題に向き合うとき、どのように物事が決まるのか、という過程
について詳しく説明されています。
このあたりは、今野さん自身も書いているとおり、法律の教科書にも、労使関係の教科書にも書かれていない内容で、ふだん労働者の生の相談を聞いている今野さんだからこそ書ける内容だと感じましたが、要するに、
・ 労働基準監督署の守備範囲が一般に思われているよりはるかに狭いこと、
・ 同じ事案でも、相談するカウンセラー(労基署、都道府県の相談窓口、弁護士、社労士など)しだいで、「違う法律」の問題にされてしまって本来の相談の目的が達せられないことがあること、
などなどです。(私自身のふだんの感覚からしても、うなずけるところが多くありました。)
★続いて今野さんは、個人(労働者)が会社(使用者)と向き合うとき、間に入る団体・専門家として最も重要な「カウンセラー」は
「間違いなく労働組合である」 (120頁)
と断言します。
ところが、他方で、日本の多くの労働組合がその活動の中心に据えている「春闘」については、
明らかに「春闘」は、本来の労働組合の機能を果たすことができていない。(161頁)
と手厳しく指摘します。
★今野さんによれば、日本独特の「企業別組合」という労働組合は、所属する労働者(組合員)の生存を確保する戦略として、労働力取引そのものを規制しようとするのではなく、
入社後の「身分の設定」をしようとした(179頁)
といいます。
つまり、「こういう仕事を、こういう条件でさせる」というルール(=労働力取引を規制するルール)作りを求めるのではなく、終身雇用や年功賃金などが保障される、
「正社員」 という 「身分」
の設定を求めたということです。
しかし、このような戦略のもとでは、
自分の会社を(同業他社との)競争に勝たせないと雇用の保障を要求できない、という構造的な問題を抱える(181頁)
ことになりますし、
大企業と中小企業との間に格差構造が形成されても、有効に対応できない
ことになります。
また、「正社員」と「非正社員」との格差・競争関係についても規制できず、かえって
「正社員なんだから、どんな命令にも従う必要がある」という論理(182頁)
へもつながることになるというわけです。
(まったく同感です。)
★今野さんは、以上のような分析を踏まえて、最終章でいよいよ、本書の本題である
どうすれば日本の『労働』を変えられるか
について、いくつかの提案をしています。
その提案はまさしく今野さん自身がNPO法人を立ち上げて実践しようとされていることだと思うのですが、私の理解でもって要約すると、
どんな企業に勤めていようと、最低賃金と国家福祉(教育、医療など)で通常の家族形成が可能な生活を営むことができなければならない。(263頁)
ということを一つの求めるべき姿(モデル)として、これを目指して個々人が実践すると同時に労働組合やNPOなどの中間団体(注:国家と個人との中間に存在する団体、の意)とつながり、主張してゆくべきだといいます。
★そして、そのように中間団体につながったあとは、
今度は、団体へのつながりだけではなく、「社会的なつながり」をどう構築するのかが、問われる(275頁)
と言います。
そして、今野さんが、「普通の人々が(社会的に)つながる回路」の具体例として一つ例示するのが、
長時間労働の規制 (275頁)
です。
つまり、長時間労働を規制することは、国民の健康を増進させ、税収を増やし、優良な企業が市場で有利になる、したがって
学生にとっても、社員にとっても、非正規雇用にとっても、まともな企業にとっても、そして官僚にとっても、長時間労働は共通して主張できる内容 (276頁)
なのだというのです。
(要約は以上ですが、私の理解が不十分で要約が不適切なところもあるかもしれません。
ぜひ、オリジナルを手に取って読んでいただければと思います。)
★かつて、
24時間、はたら〜けますか ♪
ビジネスマーン ビジネスマーン ♪
ジャパニーズ ビジネスマーン ♪
と歌う、TVコマーシャルがありました。
あのCMが流れたとき、私はまだ小学生でした。
曲は軽快なリズムで、決して嫌いではなかったのですが、
24時間働く企業戦士(ビジネスマン)を礼賛するような歌詞には、
何となく違和感を感じたのを覚えています。
24時間働ける人なんかいるわけがないし、働きたいとも思わないよ!
これは、どんな属性の人であっても一致できる意見だと思います。
いま、日本の労働者は、残念ながら、所属する企業の規模、非正規・正規の別、性別、年代、地域などによって細かく 「分断」 されてしまっています。
「24時間働ける人間なんかいるか!」
「自分たちは会社の奴隷じゃないぞ!」
という当たり前の共感でもって、そういった分断を乗り越えて連帯することが、今必要なのではないかと思います。
★補足(6/30)
少し前に読んだ本で、紹介しそびれていたのですが、
ブラック企業の実態については、
「就活前に読む 会社の現実とワークルール」 (2011年9月、旬報社)
もおススメです。
こちらは、宮里邦夫・井上幸夫両弁護士(日本労働弁護団)と、
川人博弁護士(過労死弁護団全国連絡会議幹事長)が書かれた本で、
有名企業で実際に起こった「ブラックな」事件がぞろぞろ、企業実名入りで書かれています。
(しかも、労働者側の一方的な主張ではなく、実際に裁判所や行政が、企業の責任や業務と自殺との因果関係を認定した事案ばかりを集めているので、内容は信頼性のあるものばかりです。)
ぜひご一読を。
★補足その2(7/25)
TVコマーシャルの件、ずっと「24時間働けますか」と歌っていると記憶していたのですが、いま改めて聞いてみると、「24時間戦えますか」だったですね。
失礼しました。
もっとも、24時間戦うって、要するに24時間「会社人間」として戦うわけだから、どっちでも同じだとは思いますが。